名前:金城謙太(きんじょうけんた)・昭和59年生まれの21歳
渡嘉敷中学校卒業と同時に本島の高校へ進学。
将来は渡嘉敷島で農業に従事したいという希望があり知識の修得のため農業の勉強を続けている。
趣味はというと、三度の飯より釣りが大好きで暇さえあればリールの手入れ、渡嘉敷島に帰る目的のほとんどは釣りのためだとか・・・・・?!
渡嘉敷島の子供たちは、高校進学のため家族と離れ島を後にした!
渡嘉敷島には、高校がありません。
進学を望む子供たちは、中学校を卒業すると沖縄本島の高校へ通うのですが、高速船で40分とはいえ天候などの問題もあり早朝の就航はむずかしく、島からの通学はできません。
子供たちは、15歳足らずで家族と離れ本島での生活を始めるわけです。
親戚の家に居候したり、寮に入ったり、中には一人暮らしをする子もいます。
中学校を卒業する日、先生方や島の人たちは、子供たちの本島での生活を心配して涙で送り出しました。
子供たちは、そんな暖かい想いを受け止めて期待と不安を胸に島を後にしました。“必ず島に帰ってくるぞ”と歯をくいしばって・・・!
将来渡嘉敷島に戻る希望を持って、現在本島で勉強中の金城謙太さん
「謙太が帰ってくると、魚に不自由しないから助かるわー!」
とは、母親の言葉。
小学校4年生のときに釣りに目覚めてからというもの、食卓にのぼる魚のほとんどは彼の手柄だったそうである。
たくさん釣れた時には、近所のオバー達にも配って回るという心やさしい少年だった。
16歳になると船の免許がほしいと言い出し、見事取得!沖釣りをするためである。
ここでも、彼の釣り好きがうかがえる。
高校の3年間は毎朝毎晩電話で海の様子や渡嘉敷島での出来事を聞くのが日課で、「離れてはいるものの島を想う気持ちは人一倍あったんじゃないかな。」と父親は言う。
ふるさと 渡嘉敷島への想い。
「渡嘉敷島で一番好きな場所は、やっぱり阿波連ビーチかな。小さい頃から毎日のように父親が泳に連れて行ってくれたし、阿波連小学校の遠泳や海開きなどの行事にも参加したし、釣りに没頭したのもここだからねー。
日本一きれいなビーチで、思い出がいっぱいある場所だな。島はいいですよ!時間がノンビリ過ぎるって感じで、皆が気軽に声をかけてくれるし、ホッとします。自然の中で遊ぶことが多かったから高校に入ってから部活がない日は、那覇で何をして遊んでいいのかわからずとても退屈で、島に帰ることばかり考えていたなー。」と当時を振り返る。
父親の言葉にもあるように、毎日のように島の出来事を聞いては、懐かしんでいたようで、2001年の台風の被害で村道が決壊した時は心配でいても立ってもいられなかったそうである。
彼は、島で撮った写真のアルバムをよく見るそうで、「とにかく行事の多い渡嘉敷島で運動会だけでも阿波連小学校・渡嘉敷小中学校・村運動会と3回あって、エイサーや鼓笛、一輪車乗り、徒競争と大忙しでしたよ。
祭りや発表会での風陣太鼓や三味線の演奏、キャンプもやったし部活も楽しかったし、アルバムを開くと写真を通して当時が懐かしく思い出されますね。」と話す。
渡嘉敷島がいつまでものどかな島でいてほしいと望んでいるそうである。
島でやりたいこと!
彼は今、本島で果樹栽培の勉強をしています。
「小さい頃から汗を流す作業は嫌いじゃなかったし、父親の造園業の手伝いもよくやっていましたねー。
農業大学校に入ってから果樹栽培の面白さを知って、島でマンゴーを作りたいと思うようになりました。天候に左右される仕事ですがやりがいはあると思っています。
近い将来、“渡嘉敷島産マンゴー”を皆さんに提供できるよう頑張ります!」
そう話してくれた彼の瞳には、島のハウスで働く自分の姿が見えていたのかもしれない。
 この記事の案内人は 【 島むんガイド 容子 】
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