沖縄では毎年8月になると旧盆の行事があります。祖先供養のために沖縄本島各地で、先祖を迎え入れるウンケー(お迎え)からウークイ(送り)までの3日間、エイサーの団体が地元の道を練り歩く(踊る)のです。本土で言えば、「盆踊り」の様なものですね!この渡嘉敷島でも地元に密着して、エイサーを披露しています。また遠い昔からエイサーは歌と踊りを通じて自然や神々と共に生き感動を共有しているエイサーには、地域繁栄・家内安全・健康の願いが込められ踊り継がれています。
活気に満ち溢れたエイサー!!
「ヒーヤ!ハーイーヤー!」とフェーシ(掛け声)をスタートに太鼓や唄や三線(サンシン)の音が鳴り響き、道ジュネーが始まります。練り歩くコースポイントは島で3つしかない集落、渡嘉敷(トカシキ)→渡嘉志久(トカシク)→阿波連(アハレン)のすべてを青年達が、勢いよく踊り巡っていきます。ポイントに向かう途中も太鼓と唄は途切れることなく”ノンストップ”で続きます。地元の人達もこのお盆の道ジュネーを楽しみにしていて、今か今かとエイサー団体が来るのを外に出てスタンバイしています。華やかに飾り付けられた車(軽トラの荷台がステージに!)は、地謡(ジカタ)といって歌い手が乗っていて、夜道を照らします。エイサーの姿が見えてくると観客達は歓声をあげ拍手でお出迎え、青年達の勇ましい演舞に、老いも若きも子供たちもみんな活き活きと目を輝かせて、勇壮な演舞に見入っていました。終盤、阿波連に近づいてくると観客が追っかけて来る姿も・・。フィナーレを飾る阿波連では観客も倍増!民宿が沢山あるので、観光客の姿もちらほら・・。エイサー団体もテンションが上がります。スターとを切って2時間半が経過、フェーシ(掛け声)のかすれ声もシブク感じます。激しい熱気に包まれる中。カチャーシー(泡踊り・パラパラの様な踊り)が始まると、踊り手も・観客も一体化となって盛り上がります。
エイサーの歴史とは?
起源には色々と説がありますが、一般的には1603年に沖縄へ渡ってきた京都の浄士宗”僧侶袋中”が経典のなかから選んだ経文を昜しくて琉球語に訳し、さらに節をつけた浄士宗系の念仏踊りであり、人形芝居「京太郎」(チョンダラー)をしながら各地を回る念仏僧(ニンブチャー)によって庶民に広められたとされています。渡嘉敷島のエイサーにもこのチョンダラー(道化役)がこっけいに演舞を盛り上げます。またエイサーという呼び名は、念仏歌の「エイサー♪エイサー♪ヒヤルガエイサー♪」と歌っている”歌詞”琉球歌謡週集”からきていると言われています。
手作りの道具
エイサーの道具には旗・大太鼓・締め太鼓・小太鼓(パーランクー)・歌い手が持っている三線(サンシン)と様々な道具があります。渡嘉敷島はこの中で旗や小太鼓は使わないのですが、大太鼓と締め太鼓の演舞は迫力があります!その太鼓を叩く”バチ”は一人一人が手作りで作っていて、島に生えている木”ユウナギー”(オオハマボウ)を使います。作り方は、ある程度の長さに木を切ってきて、皮をむき2週間ぐらい乾燥させて自分達の手で削っていきます。そうして出来た”オリジナルのバチ”は一般の物とは違ったフィット感があり、エイサーにも気持ちが宿るのです。
独特な衣装
エイサーの衣装はかつて、男性は芭蕉布の着物にワラでつくった帯、たすき鉢巻を締め女性も芭蕉布が紺地の着物にワラか白布の鉢巻を締めていたそうですが、今では年々衣装も派手さを増し沢山の種類があります。渡嘉敷島の衣装は男性・女性共に黒字に白の衣装で、頭にはサージというかぶり物をかぶります。帯も沖縄独特の模様”ミンサー織り”でできていて、大太鼓の人は赤色で、締め太鼓の人は紺色で区分けされています。地謡の衣装は素朴で、男性が縦じま模様の浴衣を着ていて、女性はミンサー織りの模様が入った浴衣を着ていいます。このミンサー織りはその昔、女性から男性に送る織物で、模様には四つ玉・五つ玉があり「幾く幾く世まで」末永く一緒にいたいという願いが込められているそうです。
 この記事の案内人は 【 三線ムスメ 久美子 】
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